<総務広報委員会>
森本理事長の数年のJCライフの中で、最も印象に残っている体験についてお話し頂きたいと思います。よろしくお願いします。
<森本理事長>
わかりました。
<総務広報委員会>
森本理事長は日頃から、JCは良い団体だと常におっしゃっていて、ご自身も常に全力でJC運動に取り組んでおられますが、失礼ですが入会当時はそんなに真面目なメンバーではなかったと聞いたことがあります。そんな理事長が真剣に取り組むきっかけになったきっかけがあると想像するのですがいかがですか。
<森本理事長>
不真面目というわけではないんですよ。私はバランス人間なんですよ(笑)JCに入っている人の話を聞くととてもじゃないけど、JCばっかりやってられないと思ったんですね。行けるときは行く、行けない時は行かない、というスタンスでした。当時の私のバランスから言うとね。

<総務広報委員会>
そんな頃があったんですか。その視点からいくと、JCには何があっても来ないといけないという風には思わないんですか。
<森本理事長>
そんなことは思わないですね。まあ、役職があれば別ですけどね。ただ当時の自分は、来ないなら来ないなりの意見をもっているかというとそうでもなかったですね。今はみんな、活発に来てるのでそんなに問題にならないですが、行けないなら行けないなりのやり方がある、と言うでしょ。
当時はそういう考えがなくて、理事になると来ないといけなくて、必然的にしょっちゅう行くと理事に抜擢されるという考え方がはびこっていた、その中でのバランスですね。そういうところで自分を分析すると、長男だから・・、決して長男びいきではないんだけども、長男は結構家を継がないといけないなどの責任感があったりする。だから一度、理事を受けたら必ずやらなあかんというのも分かってたし、一度受けたら自分はやってしまうというのもわかっていたので、例会に行ける日でも調整していたりしましたね。
<総務広報委員会>
なるほど、自分自身の性格を分かりつつ、バランスを取っていたんですね。入会当時から器用だったんですね。その理事長がその一線を越えようと思った事柄は何だったんですか?
<森本理事長>
山本委員長の時にブロック出向に行ったんですね。それは山本先輩の委員会に入った時に「森本っちゃん、ブロック行ってくれへんか」と言われ、山本先輩には世話になったし「それなら行かせてもらいます」ということで行った委員会が会員大会運営委員会でした。LOMからは僕ひとりでね。ひとりなんで、自分が行かないといけない。PRも行かないといけない。毎回毎回の出向者報告があるんで、例会も必ず行くようになった。その結果理事にあがってしまったという形になった。元来、受けたらその責任をまっとうしようという性格なんで一生懸命にやりましたね。それが次の年のまちづくり委員会の委員長でした。そこで委員長になったけども、自分が仕事を抱えながらJCをやってた背景があったので、みんな仕事抱えてるし、と思うとメンバーに振れなくて、結局人に振らずに自分でやってしまったんですね。その時の公開討論会という事業は、自分の中で最も印象に残っているんですが、山城青年会議所では公開討論会という事業は初めてだったんですね、初めてだから誰も教えてくれる人がいない。それで、京都府のLOMの中で公開討論会をやったことのあるLOMがあってね、船井JCとか宮津JCとか。今の藤山監事が当時担当副理事長で、船井JCが公開討論会をやったことあるというので一度話を聞きに行きました。船井というところは、結構ガチガチのところでして、公開討論会には批判的でした。JCの中でも反対があったようです。その中で当時の理事長がやろうと言ってやったそうです。
選挙は、落選したら候補者はただの人になるのでみんな必死なんですね。サラリーマンではなく、何の仕事もない人になってしまう。そんな中で公開討論会をやったので、その人の人生も左右するという責任感もありましたね。

その年は、JCでも公開討論会元年と言われた年でした。統一地方選挙の時で、ちょうど4年前ですね、それまで公開討論会は全国でもポツポツと行われていたんですが、一気にこれを広めようという年だったようで、春の統一地方選挙では全国でやってくれという依頼があって、うちのLOMもやったんですね。当時、公開討論会のことなど誰に聞いてもわからなかったし、それじゃということで自分で調べてやったし、ネットでダウンロードしたり、当時は関連するフォーラムがあったんでTELしたり、日本JCにTELして副委員長とやりとりして、たくさん話をしました。その副委員長は去年尼崎が50周年の時の理事長で、今年は日本JCに委員長として出向されてる方です。そんな人と色んな話をしたから仲良くなったり、そんなことがあって楽しかったね。やはり自分がやった公開討論会が一番印象に残ってますね。それだけ思いがあって事業をやっていましたしね。
そういえば当時はマニフェストが出始めのころだったのを思い出しました。
<総務広報委員会>
そうですね、民主党がマニュフェストを強く打ち出して頃ですかね。
<森本理事長>
公開討論会はあくまで入口であって、投票率を上げるという意味合いは少なくて、どちらかというと政策で選ぶというのが本来公開討論会のメインテーマなんですね。候補者のことを良く知ってたらいいのですが、知るはずもなく、街宣車が来ても名前の連呼で一票をお願いしますばかりの選挙が目立ちますよね。当選させるための選挙ではどうかと思うし、やっぱりちゃんと自分達で選びたいと思うので、自分達の考えの近い人をするためにやった事業ですね。だからしっかり意見を持った人に出てきてほしいですね。
<総務広報委員会>
国民、市民には選ぶ権利があますからね。それが市民主権への第一歩につながるんですね。
<森本理事長>
いや、国民主権、市民主権ってなに?という話ですよ。僕らが選ぶ、僕らが投資をするんです。首長さんには、私たちがこうしたいという総意の元にやってもらうものだと思っています。一億人の人間が集まって議論するわけにはいかない。木津川市6万人なら6万人が集まって話をするわけにはいけないでしょ。だからそうやって総意の代表の人がやるわけなんです。私たちの代表選手なんです。だから選ぶのに、自分の考え方とマッチしていない人を選ぶことはできないでしょ。単なる顔と名前が一致だけでは選んだとは思えない。選挙はお願いします、お願いしますだけでなく私たちの代表選手を選べるように公開討論会という事業をやるんです。公開討論会を行うにあたって、担う人がそこをきちん説明できたらいいんですが、それができずに、傍聴者が何人来たから成功だとか、候補者が何人来たら成功だ、とかの理論になってしまうのは私は少し違うと思うんですね。
当時私は公開討論会については、恥ずかしながら全く知らなかったし、いろいろと自分なりに調べて苦労した結果、事業というのはそういうものなんだけれども、やっていく毎に深みが増していくんですね。こんなことあるんだとか勉強になるし、そうやっていくことの重大さに気付いたし、これはいいことだと思いましたね。そういう経過も有り、公開討論会は私がやった中では、一番印象に残る事業でしたね。ただ公開討論会だけでは、制約も多くて実際に候補者の考えを聞いたからといって、その候補者が適正か否かは判断できにくい。自分達の考えというより、その人の考えに賛同するかどうかであって、市民主権の意味からすると逆だと思いますね。私たちと同じ意見を持った人を送り出すべきところなのに、単なる選ぶ権利でしかないですからね。

<総務広報委員会>
私たちの代表になる人を決めるには選択肢が少ないですし、必ずしも民意が反映されているとは言えないですね。
<森本理事長>
あくまで例えばですが、木津川市において市民の大勢が都市化せず自然を残すこと望んでいるのに、3人の候補者が3人とも都市化を進めたとしら、民意ってなんだと思う。まあ、分かっていたら候補者は出すとは思うんですがね。今はそんな環境だと思うので、今年は市民主権として市民が関われる仕組みを作らないといけない、自分達がこの国を統治するしくみが必要なんだ、と思って市民主権確立委員会を設置したんですね。自分達がこの国の有り方を決めていく当事者なんだから、それは市長でも議会でもなく私たち自身がね。そのためにもっと勉強もしないといけないと思いますね。
<総務広報委員会>
なるほど、公開討論会ではできない市民が参画できるシステムを市民主権確立委員会につながったわけですね。
確かに日常政治との関わりが少ない私たちでも、市民主権確立事業によって市民の声が反映される仕組みがおぼろげながら見えました。それは公開討論会での限界を感じた森本理事長だからこその発案だったんですね。よくわかりました。有難うございました。